日本の家の価値? その2

今回も日本のお家の価値について思うことを書かせて頂きます。

前回の続きで“日本の住宅が築25年で査定額0円になってしまうのは何故か?”の理由3と4です。

理由3:目利きが少ない

理由4:文化と環境

理由3の“目利きが少ない”ですが、これに関しては中古物件を販売する際に不動産屋さんに依頼して査定して頂くのが一般的なのですが、これも理由1と同様に不動産屋さんが建物に対してどれだけの知識を持たれているのか?という事が問題になります。

ただし、そこには現在の査定方法を正さないと解決できない理由が存在します。

その現在の査定方法というのは、家の良し悪しはあまり評価されておらず、主に築年数であったり市場価格というものを優先で値がつけられておりますので、それほど建物知識が無くても問題のない業務になっています。

その為、不動産屋さんが建物に対しての専門的な知識を身につける場面も無くスキルはなかなか上がらないのが実際のところです。

今のままでは“目利き”は必要なく築25年の建物は永遠に0円です。査定方法からの見直しを行い、同じ築25年であっても建物の良し悪しで金額差ができるような市場が健全であるとは思いませんか?

ただし、健全な市場を創り上げるには建物に対しての性能の明確な基準を設けるなり、それなりの体制が必要になってくると思います。

次に理由4ですが“文化と環境”については、日本でも例えば京町家のように古い建物であっても未だ価値があり値段のつくものはございます。しかし、それは非常に珍しい存在でありまして、戦後に建った殆どの古い住宅は値段がつかないのが当たり前とされてきております。

これには、日本が戦争に負けて満足な住居が十分になかった事が原因なのか分かりませんが、戦後に建った庶民が暮らす住居の多くは、耐久性や性能面で他国よりも劣っていたと思います。

でも、それが普通として現在まで続いている状況であり、抜本的な考え方を変えない限り今後も続く文化であると思います。

この事は、個人個人で変えようと思っていても勝手には出来るような事ではなくて、社会全体で変えていかないとどうにもなりません。

そして変えようとするには、政治、経済、文化など様々な環境の変化が必要です。

そうすることで、今までとは価値観が異なる視点の市場も生まれ、何かを買い物するにもより環境負荷の少ないものを選択したり、建物建築の際もLCCM(ライフサイクルカーボンマイナス)の考えを取り入れることが当たり前へと変わっていくかもしれません。

そのような考えが定着していくと、きっと建物の価値というものが今とは大きく異なり築25年経過しても耐久性や性能の内容に応じて正統な評価がなされるように思います。

ただし、最終的には、その建物が満足に使用できないことには価値がつきませんので我々ビルダーが行うべきは耐久性や性能が長期的に持続可能なものを提供させて頂く事が最も重要であり、更にはヴィンテージデニムのように年月の経過とともに深みを増し廃れないデザイン・スタイルを提案しなければいけないのだと思います。

蘆塚

2022.01